
なにはさておき、何かを継続するということは
かなりの決意が必要(自分の場合)
何かを始めると言うことは、今までやっていたことのうち
何かをやる時間を減らさないといけない、ということになる。
自分の仕事は、リモートにはなかなかなりずらい。
黒板に書くものをデザインしたり、ラフを考えたりすること
だけなら家でもできる。
しかし、その前の段階である「ヒアリング」すなわち
「取材」がないと、自分の仕事は成り立たないので、
人に会うことが大前提となる。
そんなのメールでちゃちゃっと質問すればいいんじゃないの?
という考え方が、デジタル時代においては当然になりつつ
あるのかな?
でも、私はデジタル全盛だろうがなんだろうが、
現場へ行って、そのお店なり会社の空気感みたいなものを
自分の五感で感じとることが必要で、それがなければ
だれが書いても同じものになってしまうし、
取材がなければ、お客様に響く黒板にはなり得ないなと
考えている。
そんな現場主義の自分ですが、家でもなにかひとつ
コツコツと継続できたぞ!というものが
欲しいな、と急に思い始めた。
ということで、表題のnoteルーティン化での話ですが、
かれこれ今日で連続156日目投稿となった。
何かそこに意味があるのか?というと
ただただ書き続けたという事実がそこにあるだけだ。
本当にアナログすぎる自分が、
毎日強制的にパソコンを触る習慣をつけようと思い、
noteを教材として選んでみた。
初めはそんなつもりで毎日毎日書こうと思っていたけれど、
実際皆さんがおっしゃる通りに
「今日は何を書こうかな〜」と頭が働くんですよ。
そういう視点で物事を見たり、考えたり、聞いたりすることが
なんだか楽しくなりました。
文章力は全く進歩しないけれど、タイピングは少しできるように
なってきたし、何しろ以前より問題意識を持って物事を
見るようになりました。
なぜ、人はそこでものを買うのか?
なぜ、それが心地よいと感じるのか?
なぜ、それがやりたくないと思うのか?
なぜ、そこへ行ってみたいと思うのか?
なぜ、それを読んでみたいと考えるのか?
なぜ、この瞬間が大切なのか?
なぜ、今それをやるのか?
なぜがまだまだ出てきますが、
なぜを考える時間が増えたと同時に
今この瞬間自分は何をやるべきなのかを
強く意識するようになったと思う。
実際は現場主義でアナログなんだけれども、
noteというデジタルを少し活かせるようになって、
デジタルとアナログのどちらかというよりは、
そこは境界線もなく、両輪回していければ良いのかな、
という考え方ができるようにもなった。
noteルーティン化なかなかいいぞ〜〜✋